陽だまりの夢。
7
プロンテラの平原に穏やかな風が吹きぬける。
「……結構なお手前で」
「……壮観よね、これだけあると」
「……♪」(ふわふわ)
「はっはっはっ……」
「うふふふふ……」
「♪〜」(ふわふわ)
俺と真彩は目の前に並べられた真彩ブランドの武具を前に乾いた笑いを響かせ、その周りをご機嫌なソヒーが漂う。
「どうやらホントに、こいつが製造運を上げてるみたいだな」
『ぽん』とソヒーの頭に手を載せ、そっと頭を撫でる。
つややかな長い髪の感触は、撫でているこちらの手にも気持ちが良い。
「作ってるときも気持ちいいのよ。なんかただ見られてるんじゃなくて、全身で応援されてる感じがして」
ソヒーの髪を撫でる手がもう一本加わる。
俺の腕よりも、かなり細い真彩の手。
「♪♪〜」(ふわふわ)
くすぐったそうにソヒーが身動ぎするが、表情は嬉しそうだ。
「良かったな、幸運の女神様が登場だ。これでお前も結構な金持ちだな」
現在の相場なら、ぱっと見ただけでもこれらの武器は10Mゼニーは下るまい。
どこか遠い存在になった……と感じるのは貧乏人のヒガミだろうか。
そんな気持ちで髪を撫で続けていると、上機嫌の真彩の声が耳に届いた。
「うん、これで貧乏なゼノちゃんを綺麗なお姉さんさんが養ってあげられるよ」
「は? ……おい、ちょっと待て。何で、俺が真彩に養われるんだ?」
さも当然、と言った感じの声に少し慌てて俺は疑問の声をあげる。
「あ、『綺麗なお姉さん』も『ちゃん』も否定されなかった……」
「いや、そこが焦点じゃないだろッ!?」
認められた……と何故かイイ顔してる真彩に、さすがにツッコミをいれる。
「ま、冗談は置いておいて〜」
と、真彩は何かを横に置くジェスチャーをしつつ、あははと笑う。
「ゼノちゃん、こんな噂知ってる?」
ぽん、とわざとらしく手を叩きつつ、話を変えるまーや。
「とりあえず、ちゃんは……」
やめてくれと懇願しながら、俺は先を促す。
二人の手が頭から離れたソヒーは、そのままふよふよと辺りを漂いだす。
その様子を横目に見ながら、
「どの噂のことだ? 新職業ってやつなら聞いたけど」
「そうそうっ! それから、新しい町だってっ! ジュノーに天津に崑崙ッ!
世界が広くなるよね〜行ってみたいよね〜?」
「ほぅ……?」
「婚前旅行にいいと思わない?」
「……は?」
ちょっと待て。
いま、聞き流してはいけない単語を聞いたような気がしたんだが。
「あの、ちょいと真彩さん……?」
「あと、これはまだ未確認なんだけど〜」
まーやが声のトーンを落とし、ひそひそと囁くような声になって顔を寄せ、手招き。
「……あのさ、今こんぜ……」
「……(にこにこ)」
「いや、あの……」
「……(くいくい)」
にこやかな顔のまま、手招きを続ける自称綺麗なお姉さん。
ちびっ子達はどこへ行ったんだろう……そういやソヒー……あ、あんな遠くにいやがる。
周囲に友軍の姿はなし。身を隠す防壁もなし。
自然……というか半ば逆らえないという気持ちのまま、俺は誘われるままに耳を寄せる。
「あのね〜、まだまだず〜っと先の話らしいんだけど……」
辺りをきょろきょろと見回しながら、そっと耳打ちをするように顔を寄せ……。
「結婚、出来るようになるんだって」
言葉の後に、頬に熱い何かが触れる感覚。次いで訪れる、濡れた皮膚が乾く涼しさ。
「この自称『綺麗なお姉さん』を、嫁にしてみない?」
そちらを向けば、驚くほど近くにまーやの顔があって。
自ら『自称』と茶化したように言ったその体は、よく見れば小さく震えていて。
思わず『ごくり』と、のどが鳴ってしまう。
音……聞こえただろうな。
そう思うと、なぜかそれが妙に格好悪く感じる。
「冗談……過ぎるよ、お姉さん?」
つい視線を逸らし、いつもと同じようなそんな言葉を言ってしまう。
そして……後悔する。
……頬とはいえ、こいつの……この人の唇がそんなに軽いわけないだろう?
(……俺はやっぱりヘタレなんだな)
こんな俺を見て、まーやはどんな気持ちだろう?
「あはは……冗談か、うん、冗談にしては過ぎてるよね」
声は、先程と同じ位置から囁かれる。
近寄っていない。遠ざかってもいない。
「でも、私はちゃんと言ったよ? 『冗談は置いておいて』……って、ちゃんと」
……うん、わかってる。
そして、体の震えが声にも伝染ったような、女の声が耳に届く。
「それから先の言葉には……ううん、ホントはそれまでだって私の本音がいっぱい。
嘘の気持ちは本当に入ってなかったよ。でも、ゼノ君にそれはちゃんと」
届いていなかったんだ。
俺は、彼女の口がその言葉を紡ぎ出す前に、地面に両手をついて頭を下げた。
つまり『 |||OTZ 』の体勢。
その、恥じもへったくれもない俺の土下座に真彩の口が一旦止まり、その先の言葉を変える。
「や、やだなゼノくん……ちょっと頭を上げてよ。こんなの冗談に……」
「冗談じゃないに決まってる」
その体勢のまま、俺は真彩の嘘を遮る。
考えろ。
考えろ。
真彩は……俺のなんだ?
俺の、真彩に対する気持ちを、真剣に考えろ。
いや、違う。その答えは、もうあるはずだ。
初めて助けてもらったとき、俺は……決めたはずだ。
俺は、頭を上げて真彩の顔を直視する。
俺はずっとお前の……。
「……真彩、お前は」
お前の『友達』でいようって……。
「お前は俺にとって……」
「ゼノちゃん」
「……ぁ?」
言いかけて、いきなりぶった切られた。
(……それはあんまりじゃないか?)
そう言いかけた俺の目をじっと見つめながら、彼女は口を開いた。
「ヘタレなゼノちゃん。ごめん、お姉さんに一つだけ注文つけさせて」
蛇に睨まれた蛙、と言うのだろうか?
いつの間にかいつもと同じ表情を取り戻し同じ微笑みで話す彼女から、俺は視線が剥がせなくなっていた。
ああ、コイツの笑顔は……強がりの現われなのか。
「……悩まないで欲しい」
……?
「考えないで」
考えるな?
「私は、ゼノ君の気持ちが知りたいの。理屈で考えていないで、心と体でちゃんと私と自分の本当を感じて」
そして、小さく息を吸い、真っ直ぐな瞳で俺の怯えた心を射抜く。
「頭だけで考えて出した『理性的』な答えを使って、私の想いを否定しないで」
なんて自分勝手な注文。
「ヘタレなゼノちゃん。言っておくけど、私はずっとゼノ君を『友達』だなんて思ってないからね。
ここでもし『ずっと友達だ』なんて言われても、それは叶わないから。『友達』なゼノ君なんて、欲しくない」
………………。
ほんとうに、なんて、自分勝手で、一方的で、圧倒的な注文。
『友達』の俺は必要ない、か。はは。
……ダメだ。完敗だ。
俺は一生、コイツに頭が上がらない。
「真彩……さん」
俺の中での本当の気持ちが一つ。
俺にとって、目の前の女性は軽々しく呼び捨てにしていいような『俺よりも下』の存在ではない。
だから素直な気持ちに従えば、俺は目の前のこの人を何よりも最上な者として扱いたい気持ちに引き摺られてしまう。
お互いを近しい者として扱いたいと言う想いから、普段は理性で押さえつけている、本当の俺の気持ち。
それでも今だけは、言葉は心に任せよう。
動きは本能に任せよう。
理性を否定された今、俺は本能のまま素直に求めなければいけない。
敗者は、勝者の意思に従わなければいけない。
「今は……結婚は出来ない」
その言葉で、彼女がどんな反応をするのか、今の俺にはわからない。
だけど、これは敗者に出来る唯一の抵抗だ。
それに、言葉の中に嘘はない。
だって、まだ冒険者同士の結婚というシステム実装はされていないのだから。
だから……。
「だからまず、俺の『彼女』になってください」
そして再び、あの姿勢。
つまり『 |||OTZ 』の体勢。
The・土下座。
捧げられる『物』など、何もない。
この人のために出来るのは、ただこの身を捧げ出す事だけだ。
恥も外聞も捨て去った、俺に出来る精一杯の懇願の現われ。
「……ぷっ。く……くくくっ……格好悪い」
頭の上から聞こえる、真彩の小さな笑い声。
「やだ……なにそれゼノちゃん、カッコワル……くくくっ」
そうか、笑ってるのか。
見たい……見たいな、どんな顔なのか。
下げた頭のままではその表情が見えない。
だから、その声が聞こえなかったら、俺は泣いているのかと勘違いしてしまったかもしれない。
だって、今の俺の姿勢では……、草原の草に跳ねたその涙らしき水しか見えないのだから。
「頭……上げないでね?」
顔見られたくないから、という勝者の声を、俺は無視した。
俺は、ゆっくりと顔を上げ、体を起こし、立ち上がる。
そして、想像どおり涙と鼻水とよだれを流しながら笑っている真彩に体を摺り寄せて抱き締める。
「確かに酷い顔だな」
「……『綺麗なお姉さん』じゃなくてゴメンね」
「この状況だと、不思議な事に綺麗なままでいられるよりも、なんていうか、気持ちいい」
ふわりと、抱きしめた真彩の匂いが鼻をくすぐる。
鉄と、リンゴと、汗の混じった……真彩の匂い。
抱き締めた腕と胸で感じたのは彼女の体の柔らかさと高めの体温、そしてかすかな震え。
そして、顔の横。驚くほど近くに真彩の顔がある。
ゆっくりと体を離すと、色んな液体でぐしゃぐしゃの真彩の顔が真正面に来る。
そして、ただ俺の顔を見つめ続ける彼女の瞳だけが俺を射抜く。
かすかに開いた唇の艶に、魅せられる。
その瞳と唇に誘われるかのように俺は更に顔を近づけ、彼女の唇にキスをする。
壊さないように、そっと触れるだけの接吻。
彼女を抱き締める腕に自然と力が入る。
彼女の唇の柔らかさと熱さに引き摺られ、彼女を求める気持ちに歯止めが効かなくなる。
体が、彼女と自分との間にある空間を0に等しくしようと動く。
いつしか、触れるだけのはずのキスは、相手の唇を貪るような強く吸うようなモノに変わっていて。
これが、俺の心と体が望む答え。
俺は真彩の傍にいたくて仕方がない。真彩が欲しくてたまらない。
俺は、真彩とずっと共にいられれば、それでいいのだ。それが俺の最上なんだ。
「……ひゃったっ」
……唇を合わせたまま、彼女が呟く。
その動きが、またこそばゆい。
薄目を開けて覗き見れば、彼女はその目を閉じもしていない。
その、真っ黒な瞳からボタボタボタボタ涙を流しながら、
「ひゃったょ……ゃった、やったぁ……」
胸元に寄せた右手で、小さくガッツポーズの姿勢。
「……ムードを考えてくれ『綺麗なお姉さん』?」
唇を少し離し、俺は小さな声で、形だけ文句を言う。
なんてこんな雰囲気に似合わない……しかし真彩によく似合う不恰好な本音の行動。
「だって……ゼノちゃ……ゼノくんのハートゲットだよ? ずっと、ずっと、欲しかったんだよ?」
……俺はレアアイテム扱いか?
「絶対、もう誰にも譲らないの……ゼノくんは、私のものなの……」
涙をぼろぼろ流しながら、再び唇を合わせてくる。
強く、強く、押し付けてくるようなキス。
「わひゃひも、ゼノくぅのものなの……ずっほ……」
言いながら、ぎゅっと抱き締めてくる。
だから……喋るなと……。
(じ〜……)
びくっ!?
気が付けば、抱き合う俺達のすぐ横で、あのソヒーがずっとこちらを観察していた。
思わず、真彩を抱きしめたまま、身を逸らしてしまう。
しかし腰を落として座ったままだった二人は、その動きでバランスが維持出来なくなって、
ガターンガシャーンッ
お互いのカートさえも薙倒し、その場に倒れ込んでしまう。
真彩のカートから、これでもかというくらいリンゴジュースが転がり落ち、いくつかは蓋が開いて中身が流れ出てしまう。
漂う甘酸っぱいリンゴの芳香。
その様子が面白かったのか、ソヒーがくすくすと笑う。
楽しそうに、くすくすと。
俺と真彩は、やや色ボケたような顔で顔を見合わせたが、
「「……ぷっ」」
やがて、つられて笑い出した。
人通りのない草原に、小さな笑い声が3つ。
いつまでもいつまでも、終わらずに響いた。
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