陽だまりの夢。


5 

絹のような肌触りの穏やかな風が俺の横をすり抜ける。
「ただいま……っと」
誰もいない空間に向かってポツリと呟く。
俺は、帰って来た。いつもの、プロンテラに程近い草原の一角。
真彩の製造材料を集めるための旅先で出くわしたテロが俺の心に影を落としていた。
何かをする気もおきず、空を見上げ口元の煙草の煙が空に登っていくのを意味もなく瞳に映す。
しかし、そんなものとは関係なく、脳裏に浮かぶのはあの風景だけだった。
焼け落ちて元の形がわからなくなった建物。
生々しい『肉』の焦げる匂い。
熱に揺らめく空気に飽和するまで詰まっているのは怨嗟の声。
(いや、そんなモノはなかった……これは違う。混ざるな……)
間に合わなかった。既に終わっていたのだ。
『ぶちっ』と、つい口元に力が入り、煙草の吸い口を噛み千切る。
中途半端な長さになった煙草が、ほとんど音もたてずに地面に落ちる。
自分の中のやりきれない思いをそうするかのように、俺は落ちた煙草を靴で踏み潰した。
(…………)
今日何本目になるかわからない煙草を口に咥え、火をつける。
味などわからない……、いや、苦い。
思い出せば思い出すほど、その煙草は苦い物と変わる。
ハイオークとアノリアンを倒した俺を待っていたのは、更なるモンスターの群れだった。
時にはモンスターを叩き潰し、時には身を潜めてやり過ごし辿り着いたのは、一言で表現するなら『廃墟』となってしまった世界だった。
『傷痕』があちらこちらに見つけられた。
破壊された壁、崩れた土石で塞がれた井戸、そしてあちこちに転がる人……だったモノ。
更に運が悪いことに、それは人々が食事の支度をするような時間にでも起きたのだろう。
複数の家から火の手が上がり……炎は村を焼き尽くしていた。
火事が起こったのは、予想の範囲内であった。
……と、いうよりも火事が起こったからこそ、俺は異変を感じ取ったのだが。
そして何より、間に合わないことも……範囲の内に収まっていた。
俺はただ、いてもたってもいられなかった。
この、クソつまんない『現実』を産み出した奴……それが目の前にいたらこの手でぶちのめしてやりたかった。


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4月6日。

『この世の中に、テロを起こしたがる人間がどれくらいいるか、考えた事があるか?』

『今の世の中、枝テロなんて得に珍しいものじゃぁ、ない。
 主都へ行ってみろ、大なり小なり何かしらのテロが行われている。
 そしてそんな事にいちいち心から騒ぐ奴なんて、実はいない。
 目くじらを立てるフリをして、その実、自分も楽しんでいる奴らばかりさ』

『一つの可能性として……だ。
 例えば、そうだな……。
『とある仲の良い冒険者達のグループがありました。
 彼らは身内で何か良い事があり、その祝いを兼ねた戯れで枝を折る事に決めました。
 彼らは善良だったので、大きな街から離れた場所で、枝を折りました。
 しかし、つい勢いが余って……
 いや、つい押さえが効かなくなって、だな。楽しいからな、なんだかんだで騒ぐのは。
 人里離れた地ゆえの開放感で纏めて十本単位で折る者などもいる『かもしれない』な。
 まあ、その結果、想像以上の敵を呼んでしまいました。
 そして気が付けば処理しきれる量を越え……放置せざるを得なくなりました。』
 ……ってのは、どうだ?』

『どんなヤツにお前が恨みをもってるのかは知らないがな……。
 今更、犯人を捜そうって言っても所詮無理な話なんだよ。
 それこそあれだ、『星を数えるよりも容易く、雲の行方を知るより困難』な話さ』

今日、こんな御高説を垂れた男をぶっ飛ばした。
ムカついて、殴った後には更に吐き気がするくらいムカついた。
更に反撃して来た男にぼこぼこにされ、文字通り吐いて、ムカついた。
そしてなんだかこの日記が愚痴を書きとめてるみたいでムカつくが、あえて残す!
絶対に強くなってやる。覚えてろ俺!


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「……チッ」
舌打を一つ打つと、俺は軽くかぶりを振って、視線を空からゆっくりと下ろす。
目の前に生えたひまわりが吹き抜ける風に軽く揺れる。
俺の心も、揺れる。
「……なあ、一つ質問していいか?」
いつからそこに生えてるのかわからないヒマワリに向かって、静かに問いかけた。
「いつから、そこにいた?」
ヒマワリは、ただ真っ直ぐに生えていた。
しかし、先ほどまではそんなもの、『ここ』にはなかったはずだ。
もちろん、ヒマワリには口がないのでヒマワリは答えない……が、すぐに質問の答えは俺の耳にしっかりと届いた。
「ん〜、かれこれ30分ほど」
「……そうか」
意外に長い時間に軽く驚いてヒマワリを見下ろすが、ヒマワリは静かにそこに咲き続け、それ以上の否定も肯定もしない。
「……ゼノちゃん」
「……ちゃんはよしてくれ」
ヒマワリを睨む。
「なら、そっちもいい加減、顔を見て話さない?」
「何を言っている、これがお前の顔だろう?」
ヒマワリの下から視線を感じるが、無視。
意識して、無視。
今、真っ直ぐにこの人の目を見て話せる自信がない。
「……もしかして、照れてるのかな? いやだ私って罪作り?」
………………………………いや、つっこむな俺。
ツッコミを入れたら負けだ、ペースに巻きこまれる……。
そして、ペースに飲まれたら負けだ。
何の勝負なのか、そもそも勝負なのかすらわからないが、とりあえず負けだ。
……無視だ、無視。
「ほ〜らゼノちゃん、お姉ちゃんがいい子いい子してあげるから素直になりなさい?」
「……いや、俺はすこぶる自分に正直に生きている自信がある」
それまでの空気を全く意に返さない、強引なまでの話口。
「うわっ、今なんて言ったっ、なんて言ったっ!?」
一転してこちらを責めるような激しい口調。
「こ〜んな綺麗なお姉さんが目の前にいるっていうのに、全く手を出さないゼノ君が自分に正直っ!?」
……頭が痛くなってきた。
「あいにく俺はそんなケダモノじゃありませんので」
そう言って強情にひまわりの花から目を話さない俺の口元から、女の手が煙草を奪い取った。
反射的に煙草の行方を追った俺の目は……真彩の目に捕まった。
「やっと、こっち向いてくれた」
微笑むでもなく、哀れむでもなく、淡々とその『事実』を伝えてくる。
この人は、いつもこうだ。
こっちが見せたくないモノばかり見たがりやがる。
「煙草の臭いは嫌いじゃないけど、ゼノくんが煙草を吸うのは嫌だな」
そう言って、勝手に火を消してしまう。
そして自分のカートを漁り、何かを取り出す。
それはもちろん……。
「命の水だよ」
「ハイハイ……有難く頂戴いたします」
素直に受け取り、俺はストローに口をつける。
リンゴジュースの甘い酸味が煙草臭かった口内にふんわりと広がる。
胸の中の黒い重りまで、じわっと溶けていくかのようで……。
「あ、それ私の飲みかけだった」
「……ふ〜ん」
この程度では動揺などしない。
「……間接〜とか、気にしないの?」
畳み掛けてくる。
返事はしない。
気にするかと聞かれて、気にならないわけがない。
男の単純さとか言われても、それが事実なのだから情けない。
それでも、情けない姿を見せたくはないと思うのは、せめてもの抵抗か。
「空は青いなぁ……」
……なんだこの切り替えしは。
あからさまに話を逸らしていますと言ってるようなものじゃないか。
こんなのに引っかかってくれるやつなんて……。
「ホント、いい天気だね〜。眠くなってきちゃう」
……。
コイツくらいしかいないだろうなぁ……?
いや、予想出来ていたぞ?
……ホントだぞ?
「ゼノちゃん」
「……だから、ちゃんはよせ」
「正座しなさいゼノちゃん」
「だから、ちゃんは……」
「しなさい、ゼノちゃん?」
「……だから」
「何かな、ゼノちゃん?」
「ぃゃ……了解」
……なんでだろう。
確かに俺が話を逸らして流れを掴んだはず……。
なのになんで……。
「ゼノちゃんの膝枕〜……」
……こんな状況になってるんだろう。
「いい天気だね、ゼノちゃん〜」
「……真彩サン、ソロソロほんとニ『ちゃん』ヲヤメテクダサイ……」
「はいはい、ゼノくんは男の子だね〜」

……完敗。

「平和だね、ゼノくん……」
「ハイ、ソウデスネ……」
「こんな日がず〜っと続けばいいね〜……」
「………………いや、それはちょっと」
「続けばいいよね?」
「……ハイ、ソウデスネ」
「うふふふふ〜……」
「…………」
「…………」
「…………」
寝たか。
静かな嵐のようだった。
別に騒がしいわけでもないのに、気分は『台風一過』だった。
……でも、おかげで残ったのは『青空』だった。
台風の後は空気が澄み、雲一つない青空が広がるものだ。
あの黒い気持ちも、やるせない思いもどこかへ行ったように思う。
消えたわけではない。
またいつか、胸の中にあの苦味が広がる時は来るんだろう。
それでも、今はそれがない。
………………。
そう、だな……。
「こんな日がずっと続けば……いいな、うん」
俺は誰にともなく呟いた。
寝ているとわかっていても、真彩の顔など見ることは出来ない。
風が二人の周りを吹き抜け、その言葉は誰の耳にも届かずそのまま……。
「そうだね〜」
「……」
返事があったのは想定外だった。
俺の馬鹿っ! 俺の馬鹿っ!
油断した。油断したーっ!
俺は大地に突っ伏したかった。つまり『 |||OTZ 』の体勢を取りたかった。
だが、膝の上に『重り』があるためそれすらも叶わない。
……敗北感に打ちのめされた。もう、何もかもにも勝てない気分だ。

「ずっとこうしてのんびりと暮らしたいね……うふふふふふ♪」
悪魔の囁きが、聞こえた気がした……。


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