陽だまりの夢。


4 

すぱんっ。
俺はかなり手加減した一撃を真彩の後頭部に放つ。
「あたっ!?」
叩かれた真彩は小さく悲鳴を上げてこちらの顔を恨めしそうに振り仰ぐ。
「何す……」
「何でいきなり出現したモンスターに刃物を持たせたりするんだアンタは!」
相手の言葉を遮り、とりあえずこちらが叱っている焦点を明白にする。
反論しようと大きく口を開いた真彩だが、こちらの言い分の正しさを感じてか、言葉は小さな物になる。
「い、いや……だってホントに物欲しそうにじ〜っと見てたんだもん」
真彩は言い訳モードに突入した。
人は、自分が悪いと感じているにもかかわらず言い訳をしなければならない時、相手を正面から見ることが出来ずに動作も挙動不審な物になる。
真彩もそれに漏れず、長身の体をやや縮こまらせて下から俺の顔をおずおずと見上げるように口を開く。
「こう、指咥えて上目遣いでどこのおねだりさんかっていう感じで……ってなにその顔。ゼノ君のエッチ。」
「……いや、喩えがよくわからんが最後の部分は不本意だ。取り消せ」
突飛な会話の内容も焦りのせいだと信じたい……。
「またまた〜、このむっつり助平〜」
「……へいへい」
なぜか理不尽に頬に食い込んでくる真彩の人差し指。
なんだろう……いつの間にか攻守が入れ替わってないか?
やるせない気持ちのまま、俺は目の前をふよふよと漂うソヒーを眺める。
その表情は、俺と真彩の言い争い(?)の進行に従って目まぐるしく変わっていたが、現在は対応しきれずにオロオロしているようだ。
……まあ、突然暴れだして人に危害を加えるようなモノには見えない、か。
「とりあえず害は無いようだし……ま、いいか」
ぽんぽんとソヒーの頭を優しく叩くと、真っ白なその顔に薄く朱が差した。
(……にしても『超強いグラディウス』なぁ……?)
俺は隣に座る女の太っ腹さ加減に思わずため息をつく。
俗に、ブラックスミスの武器製造は技術と幸運、それから製作者の経験によって成功率が変わると言う。言い替えれば製作者のDEXとLUK、それからベースレベルが高ければ高いほど成功率が高くなるということだ。
それでも、高レベルの武器の製造成功率は決して高いとは言えない。
……小耳に挟んだ噂だと、星のかけらを3つ入れたLv3の武器は、全てを極めたブラックスミスでも成功率が1/2あるかどうかと言う世界らしい。
つまり、真彩が目の前に浮かぶソヒーにやった短剣は、実は技術的にものすごい価値があったりするわけだ……が。
(……まあ『超強いグラディウス』だしなぁ)
まあ、それもいいか……などと思いつつ、目の前で浮かれているソヒーを眺める。
実は、『超強い』武器は微妙な逸品である。
使用する『星のかけら』の効果は攻撃力をほんのわずかだけ上昇させるというものと、その上がった分の攻撃力だけは絶対に相手にダメージを与えるというもの。
喩えを挙げろと言うのなら……そうだな。
『アサシンだろうが幽霊だろうが神だろうが悪魔だろうが、この武器を使えば髪の毛をまとめて3、4本引っこ抜く程度のダメージだけなら与えられる』
……微妙だろう?
いやまあ、男としていつかそれが『致命傷』だと感じてしまう日は確実に来る……来てしまうのかもしれないが、それはまた別の話だ。
とりあえず、武器としては微妙品。
おそらく、真彩も腕試しのつもりで作っただけだろう。
それがたまたま偶然に光り物好きのソヒーに気に入られたと言うだけの話か。
……それにしても。
「……絵面的にどうよ。鞘越しとはいえ短剣に頬擦りするソヒー……」
「怪我しないようにね〜」
いつもの場所で穏やかに時間は流れる。
二人と一体の間にのどかな空気が……って、あれ?
「……そういえば、『飼い主』達はどこへ行った?」
「ん、ご飯食べたら狩りに行ったよ。峠に芋掘りだって」
峠に芋掘り。直訳すると、プロンテラの北に位置するミョルニール山脈に生息するアルギオペを狩りに行ったという事だ。
「……なんでお前がこいつの面倒見てるんだ? トラジとジルが飼い主だろ?」
「まあまあ、いいじゃない。可愛いし」
「真彩サン……ソノ発言オヤジ的デス」
「オヤジ的な綺麗なお姉さんは好きですか?」
……………………。
「微妙。」
プロンテラ近くの平原に、乾いた風が吹き抜けた。
いや、この場合は乾いた空気と言うべきか。
「うふふふふ……」
「はっはっはっ……」
しばらく辺りには、のどかで張り詰めた空気が充満した。

俺は正直、この空気が……嫌いではない。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


風が臭う。
正直、俺はこの空気は……大嫌いだ。滅ぼしたいほど嫌いだ。
慣れ親しんだプロンテラの平原のモノではない。
しかし、それよりもなお懐かしさを伴う……嫌な臭い。
俺は咥えていた煙草を手の中で揉み消し、大地に投げ捨てる。
煙草よりも肺の中を真っ黒にするかのような……嫌な匂い。
草も木も花も家も人も空をも焦がした、そんな臭いが風に乗り、俺の胸の中を黒く染めていく。
投げ捨てた煙草よりもなお、俺の胸を黒く染めていく。
『それ』に気が付いてからどれくらいの時が経っただろう。
曇り空よりもなお黒い煙が遥か彼方からでも確認できた、あのときから。
どれだけの……血が流れたのだろうか。
その煙は、冒険者の起こした焚き火によるものなどではないだろう。
焚き火にしては、明らかにその煙は多すぎた。
また、この辺りで焼き畑農業を行っているなど聞いた事すらない。
……おそらく、火事だ。しかも、予感が正しければ人為的に引き起こされた。
……ギリッ。
苦々しく奥歯を噛み締めながら、俺は黙々と歩を進める。

俺は辺りの空気に神経を尖らせつつ、森の中をゆっくりと進んでいた。
感じていた。
目的地に近付くにつれ、周囲に増えていく敵の気配。
敵……即ちこの世界にはびこるモンスター達のことだ。
しかし、ルーンミッドガルド国内においては本来、こんな人里に程近いフィールドには強力なモンスターは出現しない。
それは、プロンテラ騎士団の力が大きい。
ルーンミッドガットの首都プロンテラ。 そこを本拠とする通称『プロンテラ騎士団』は、人々を争いから守る『盾』であり、敵を切り裂く『剣』であった。
冒険者を夢見る少年少女にとっては憧れであり、大人達にとって見ても自分達の生活を守る平和の象徴であった。
そんな彼らの尽力により、国土の平和は守られていたのだ、が。

「ラウドボイス!!
 アドレナリンラッシュ!!
 オーバートラスト!!
 ウェポンパーフェクション!!」

叫びとともに、俺の体に次々と力が漲ってくる。
そしてカートの中からバーサークポーションを一つ取り出すと、一気に呷った。
口の端からこぼれた少量を、空になった瓶を握った拳で拭う。視線は正面から外さない。
そこには、普段のこの土地には見られないようなレベルのモンスターの姿があった。
ハイオーク、そしてアノリアン。
どちらもこんな場所に出現していいモンスターでは、ない。
『古木の枝』で、召喚されたのだろう。
俺は込上げてくる怒りを『ギリッ』と奥歯で噛み締める。
「……ハァハァうるせぇんだよっ!」
そう小さく吐き捨てると小瓶を投げ捨て、俺はまずハイオークに突っ込んだ。
「マキシマイズパワーッ!!」
体に、更に力が漲る。そしてその勢いのまま、瓶を持っていたのとは反対の手に持った斧で叩く。叩く。叩くっ。叩き潰すっ!
数秒の後には、そこにあるのはただの巨大な肉塊。
「次っそこの爬虫類っ!」
振り向いたその先には、いましも頭上に振り下ろされようかという巨大な剣。
アノリアンの攻撃だ、が。
「チッ……!」
舌打ちと共にその剣の横っ腹に斧を叩きつける。
あっさりと軌道を変えて凶器は地面に突き刺さる。もちろん俺には傷一つない。
爬虫類の感情は人間様にはわからないが、そいつは驚いているのだろう。
……が、俺までそれに付き合ってやる義理などない。
叩きつけた勢いのまま、俺は一回転。そして更に勢いを増した一撃を、攻撃を外して隙だらけの顔面に叩きこんだ。
剣を大地に刺したままふっとぶ爬虫類。
それでも根性を見せて立ち上がるが、しばらくふらふらと目を回したように立ち尽くす。
「……ふん」
一つ鼻を鳴らすと俺はポケットから煙草を取り出し咥える。
そしてゆっくりと火を点け、煙を吐き出す。
煙の向こう側に立ち上がる影が透けて見えた。
気のせいか、先刻よりも戦闘意欲を剥き出しにしている。
やれやれ、めんどくさい……。
煙草を咥えたまま、近付く。すると……、

ポツ。

火照った肌に冷たい感触。
ポツ……ポツ……。
どうやら、雨が降って来てしまったようだ。
爬虫類の方に意識を向けつつ空を見ると、いつの間にか空は暗い雲に覆われていた。
まるで、雲に煙の色が染み込んだかのような、曇天。

……辛気臭い。
俺はゆっくりと、低く唸り声をあげているアノリアンに向き直った。
武器のないソイツが、感情のわからない目でこちらを睨みながら今にも飛びかかろうと力を溜めている。
…………。
……めんどくせぇ。
俺は斧を肩に担ぐように片手で持つと、無造作にそいつに近付いた。
一歩。
二歩。
三歩。四歩。五歩。
爬虫類の瞳をじっと睨みつけながら距離を縮める。
奴は飛びかかろうとするが、そのタイミングに合わせて俺は睨みつける瞳に力を込める。
結局、俺が目の前に立つまで、奴は飛びかかる事はなかった。
爬虫類と俺は視線を合わせたまま。
さて、コイツが今感じているのはどんな感情だろうか。
怒りか、恐怖か、戸惑いか、焦りか。
「……ま、どうでもいい」
呟くと、これまた俺は無造作に斧を振り下ろした。

煙草の苦味が口内に染み込む。
煙草の苦味だから、火を消して唾でも吐けば、苦味は去る……。
心の奥から滲み出てくる不安と吐き気を、煙とともに噛み砕きながら俺は道を進む。
世界の一部は狂っているのか。
人の想いが狂っているのか。
俺は、まだ狂っていないのだろうか。
煙草の苦味と戦いながら、俺はただ足を進める。
煙草が苦いと感じるうちは、きっとまだ平気だ。
まだ……平気だ。

根拠のない拠り所は苦味を残し、灰と煙にその姿を変えていく。
煙草を美味いと感じる日が、いつか来るのだろうか。



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