陽だまりの夢。
3
ゆっくり、ゆっくりと、私は闇の中を漂う。
風のない洞窟の中を、ゆらゆら、ゆらゆらと進む。
冷たく湿った空気に押し潰されそうになりながら、それでも前を目指す。
ここを彷徨うようになって、どれほどの時が過ぎたのだろう。
私は光を探していた。
光に触れたい。
光に包まれたい。
光に満たされたい。
闇の中ですすり泣きながら、ただそれだけを願い、彷徨う。
いつになったら抜け出せるのだろう?
いつになったら出会えるのだろう?
光を求め、私は今日も闇の中を泳ぐ。
光が恋しい。
光が欲しい。
なぜ私は光を求めるのか。
理由は、いつの間にか忘れていた。
いや、もしかしたら初めからそんなモノはなかったのかも知れない。
体は、光の下に存在していた証を失っていった。
いや、もしかしたら初めからそんなモノはなかったのかも知れない。
残っているのは、ただ漠然とした想いだけ。
いや、もしかしたら初めからそれしかなかったのかも知れない。
それでも、事実は一つ。
私の中にあるのは、光を求める心だけ。
私は探した。
幾日も幾十日も幾百日も幾千日も幾万日も……。
何もかもが虚ろになりながら、ただ求めた。
光を。
『あの日』に無くしてしまった『光』を。
『あの日』がいつなのか、自分でももうわからないけれど。
闇の中を彷徨いながら、探し続けた。
いつかここで私がなくした何か。
わからないまま、時はひたすら曖昧に、残酷に、ゆっくりと流れた。
そして……運命の日がついにやってきた。
私は『光』を見つけた。
『光』。
最初、自分の目が信じられなかった。
次いで、闇を貫くような光に心を奪われた。
(……光?)
光が。
(……光が?)
光がそこに。
(光が、そこに……)
光がそこにあったのだ。存在したのだ。
暗闇に慣れた目を灼く光源が、確かにあるのだ。
私の中で、否定する心と肯定する心、どちらもが騒ぎ出す。
しかし私は、私の体は、心の事など無視をして誘われるようにそちらに近寄り……。
(光が、もうすぐそこに……)
ただひたすら、それを求めて必死に手を伸ばし……。
(光が、もう、すぐそこに……っ)
ついに『それ』に 手 が 届
「やったw ソヒータソゲットww」
「おぉっ!? 一発成功っ!?」
「おめwww」
「ホントにテイミングできるようになったんだ〜」
「すごいよ、今ならまだ卵とか全然出回ってないからめちゃめちゃ高いんじゃないの?」
「○◎●……☆□………★◆………♪
「……●△×……★……
「……◇……♯…
(……ぇ?)
私は、自分がどうなったのか、はっきりと理解していなかった。
眩しい『光』を掴もうと必死に手を伸ばし……そう、光を掴んだはずだった。
(光……?)
この手は今も何かを掴んでいる。
私は、光を掴んだのか?
光をこの手に抱き……なのになんで閉じ込められたのか?
恐る恐る自分の手を見る。
(ひかり……)
手の中には、光など存在しなかった。
そこにあったのは、一振りのみすぼらしい小太刀。
『ドクン』と鼓動を感じた。
死者の体にあるまじき感覚。
(小太刀……短刀……剣?)
違う、と何かが伝えてくる。
よくわからない喪失感がカラダに満ちる。
私は後に、それが『純潔の小太刀』と呼ばれるアイテムであると知る。
それが、ソヒーと呼ばれるモンスターをペットにするための『餌』であると、知る。
そして、『餌』はその職務を全うし、消滅する。
(ひ か り ……)
手の中でその形を失っていく小太刀。
(あっ……ぁ……ぁ)
祈る。願う。
『ひかり』が消えないように、闇に消えないように、胸にぎゅっと抱く。
それが紛い物であるとわかっているのに、それでも心惹かれずにいられない。
(ひかりが、ひかりがきえちゃう……きえちゃうよぉ)
きえないできえないできえないでと必死に繰り返される私の拙い祈りは、しかし私を囲む硬い卵の殻に跳ね返り、どこにも届く事はない。
(ひかりがきえ……ぁ……ぁぁ……)
純潔の小太刀は、闇に消えた。
私が掴んだ『ひかり』は、私の手の中で儚く消えた。
手の中に灯った光は、もうどこにもない。
何もない両の掌を見つめ、私の心が軋み出す。
このとき、私は一つ『思い出した』。
初めから無いのと、手に入れた何かを失う事は似ているようで全く違う。
身を持ってそれを体感した私は、確かにここで光を失くしたのだと『思い出した』。
それが何かはまだわからない。
でも、確かに何かを失くしたのだ。
思い出した……たった一つでも思い出すことが出来たのに、
気が付けば、私は今も闇の中。
硬い卵の殻の中。
今日も明日も闇の中。
終わりの来ない闇の中。
きっと私は……ずっと私は……未来永劫、私はこのまま闇の中。
死者は死者らしく、闇の中ですすり泣くのが似つかわしい。
これから先、どれほど時が過ぎようと……私は『ひかり』に届かない。
「うわ、やっちまったっ……」
「……あん?」
「名前が……ホレ」
「……マヌケ。『ソヒー』のまま決定したのかよ」
「……うっがぁぁぁぁっ!? マジかよ、めちゃくちゃ高かったんだぞ、これ!」
「あ〜、ナムナム」
(………………)
「あんだこりゃっ! (/ショック)」
「どうしたの〜? (/?)」
「いや、そこの露店で安くソヒーの卵売ってたから買ってみたんだけどさ」
「……あ〜、わかった。名前が付いてたんでしょ (/!)」
「しかも『ソヒー』だとよ……なにこれ、新手の詐欺? (/えーん)」
「……南無〜 (/えーん)」
(………………)
「こんなの買えませんよ。名前が付いてるじゃないですか」
「そこをなんとかっ」
「だめです。買い取り拒否」
「……ケッ! わかったよ、邪魔した!」
(………………)
「うわ、ポポリンが卵産んだ!」
「あ、ほんとですね〜」
「ポポリンの卵?」
「なのかな〜?」
(………………)
捕まってからどれくらいの時が経ったのだろう。
私を取り巻く世界は一変した。
青い空、吹き抜ける風。
洞窟の外、人が暮らす世界は光で満ちていた。
しかし、私の中が光で満たさる事はなかった。
私の目に映る世界は、今日も暗く寒い。
永劫の闇の世界。
「ん〜どうやって食べるんだろう……」
「……食べ物なの?」
「だって卵だよ?」
「卵ですけど……ポポリン……毒?」
「……毒?」
「…………」
「……まぁやさんに聞いてみようか?」
「あ……そうですね」
(………………)
そして、何度目かわからない『外』への召喚。
まぶたをゆっくりと開くと、私はそこが草原であることを知る。
「うわっ、女の人!?」
「お……ソヒーじゃないか」
「そひー?」
「あ〜、この子はそういうモンスターなのよ」
「モンスター……でも、綺麗ですね〜」
「綺麗だけど……このひ……ソヒーさん、なんか元気ないなぁ?」
「腹が空いてるとかじゃないか?」
「あ、そうかもしれないね。ちょっと卵に戻して」
「え〜、なんで〜?」
「いいから早く。消えちゃうよ?」
辺りを見渡す余裕もなく、再び私は卵の殻に押し込められる。
次に出るときは、またまったく違う場所にいるのだろう。
いや、もしかしたらこのまま二度と卵から出る事はなく……。
…………………。
カーン……カーン……。
(………………………………)
カーン……カーン……。
カーン……カーン……。
カーン……カーン……。
(………………………………………………………………?)
カーン……カーン……。
音が……聞こえる。
硬いものが撃ち合わさる、澄んだ音色。
硬い卵の殻を通して、私の中に染み込んで来る響き。
耳を澄まし、音を探る。
不思議と、心が惹かれる。
この感覚をなんというのだったか……。
……なつかしい?
そうだ、懐かしい、だ。
卵の檻の闇の中、染み込んでくる音を体全体で受け入れる。
心地良い……子守唄のような響き。
どこか陶然とした気持ちでゆっくりと目を開けると、視界が突然開かれた。
「ほらほら、ご飯だよ〜?」
え?
ここは……殻の外?
まぶしい陽光が私の冷たい体にじわりと染み込む。
目の前に差し出されたのは……私のために用意されたペットフード。
それを持つのは、二人の人間……おそらく、私の『飼い主』の姿。
……見覚えがある。
前回の『召還』の時にいた顔だ。
しかし、今回の『飼い主』は今までの中でも一番に幼い。
まるで曇りのない瞳を私に向け、しきりに餌を持った小さな手をこちらに伸ばしてくる。
「ご飯だよ〜」
「食べてくださ〜い」
私は恐る恐るそれに手を伸ばし、受け取る。
既にこれは何度か食べた事がある。
餌自体にはそれほど警戒もせずに『もぐ』と小さく一口かぶりついた。
「あ、食べた食べた」
「やった〜♪」
口の中に何かの肉の味が広がり、改めて自分が空腹だったことに気付かされる。
しばらく黙々と、食べる事に専念した。
目の前の二人はその様子をじっと凝視している。
少し食べにくい……。
カーン……カーン……。
(……っ!!)
あの音だ。
卵の中で聞こえた、澄んだ響き。
思わず私は食事の手を止め、音のした方向に顔を向ける。
私を観察していた二人もつられてそちらへ顔を向ける。
人がいた。
綺麗な肌を惜しげもなく陽光の下に晒した女性が、私に背を向けてそこにいた。
頭の上に咲く、巨大な花が印象的だった。
カーン……カーン……。
音はそこから聞こえる。
私は、誘われるままにふわふわとその人に近寄った。
カーン……カーン……。
音とともに光が跳ねる。
彼女が槌を振り下ろすたび、新たな光が、音が、私の体に染み込んでくる。
ゆっくりと、彼女の横に舞い降りる。
「……ん? 元気になったの?」
私に気付いた彼女が、ゆっくりと手を止めて振り向く。
その顔にも見覚えがある。飼い主達と一緒に見た顔だ。
だけど、今の私の意識はそちらへは向かう事がなく……。
(……ぁ……ひかりが……)
消えてしまう……。
「あっ、まぁやさん〜、手を止めちゃ可哀想だよ〜」
「ん?」
私と一緒にやってきた『飼い主』の一人が女性に声をかける。
「この子、まぁやさんの製造が見たいみたいですよ?」
もう一人も、口を開く。
『まぁや』と呼ばれた女性がきょとんとした表情で私の顔に目を向ける。
……えっと。
「興味、あるの?」
尋ねられた。
……こくん。
人の言葉が喋れない私は、小さく頷くことで意思を伝える。
「……変なソヒーだね〜?」
軽く頬を指で掻きながら、それでも『まぁや』は視線を私から外す。
カーン……カーン……。
光が生まれる。
(消えないで……)
カーン……カーン……。
光が踊る。
(消えないで……)
カーン……カーン……。
(絶対に……絶対に、消えないで……)
文字通り息をするのを忘れたまま、私は愚直に『消えないで』と願う。
「この子、目がきらきらしてる……」
「なんだかすごく……」
カーン……。
最後の槌の音が響き、風にさらわれる。
しかし、『ひかり』は消えずにしっかりと今も私の目の前にあった。
目の前に……あった。
「よし……っと」
コリ……コリコリコリ……。
私の目の前で『まぁや』が『ひかり』に何かを刻み込む。
『ひかり』が、より一層鮮やかな物になっていく。
「……まぁやさん、この子泣いてる」
「ぇえっ!?」
私は『ひかり』から目を離す事が出来ない。
「えっと……なんでなんでっ? や、やっぱ終わらせちゃダメだった?」
「まぁやさんのいじめっ子〜」
「ええっ!?」
いつしか、私の視界は涙でぼやけてしまう。
闇を彷徨っていた時とは違う涙。
『ひかり』が……。
『ひかり』が今、そこにある……。
手が届くほどに……すぐそばに。
私は、ついに堰を切って流れ出した涙もそのままに、呆然と立ち尽くす。
しかし『ひかり』はひょいっと『まぁや』の手によって視界から取り上げられた。
私と『ひかり』とを見比べて、明らかに複雑そうな表情を見せる。
そう……、そうだ。それが正しい。
わかっていた事。もう、何度も繰り返したことだ。
私は『ひかり』に届かない。
それでもいい。『ひかり』が見えた。感じられた。
それだけで……それだけでいい。
「……もしかして……欲しい?」
『まぁや』の声が聞こえ。
「……まあ、いいか」
信じられない言葉が続き。
(……え?)
次の瞬間『ひょいっ』と無造作に、求めていた『ひかり』が『まぁや』の手によって私の目の前に差し出されていた。
(………………ぇ?)
私は混乱した。
目が忙しく動き回き、『まぁや』の顔と『ひかり』を行ったり来たり。
やがて、恐る恐る彼女の目を上目遣いに見つめる。
私は、人の言葉が喋れない。
意味は理解できるが、口が動いてくれない。
それは仕方がないこと。
今まで闇の中をたった一人で彷徨っていたから、口が話し方を忘れてしまったのだ。
だから私は、言葉で意思を伝えられない。
(いいの?)
という想いを込めて、弱気に見つめる。
果たして、それが通じたのか、
「どうぞ?」
より一層、手に持った短剣の柄を私の胸元に近づける。
(…………っ)
不器用に唾を飲み込む。口の中が、からからだ。
私はゆっくりと手を伸ばし……躊躇した。
(私が触れたら……『ひかり』は消えちゃう)
差し出された『ひかり』を目の前に、私はただ手を持ち上げた体勢のまま固まった。
掴みたい。触れてはいけない。触れられる。でも怖い。
私の顔は、もうめちゃくちゃだっただろう。
渇望と悔しさがごちゃ混ぜになった顔は涙と鼻水でべちゃべちゃで、血が通っていないと思っていた顔はきっと真っ赤になってしわくちゃだ。
(ひかり……ひかり……ひかりぃ……)
私はもう、答えを知っているのだ。
私は光を求めてはいけないのだ。
世界は、私に光を与えない。
「ん〜、この際押し付けちゃおうか」
ぽん。
未来永劫、私は光に触れられな……え?
「あ、固まった」と、『飼い主』の声。
ぎぎぎ、と音がしそうなほど緩慢な動作で視線を手の中に落とす。
そこに収まった一振りの短剣の名を『グラディウス』と知るのはまだずっと先の事で。
刃の根元の部分に『真彩』という文字と、小さな模様を刻み込まれた一振りの短剣が、今……私の手の中にある。
「初めて完成した超強い奴なんだから、大事にしてよね」
『真彩』が優しく私の頭に手を置いて囁いた。
私の中で光が氾濫し、もう……自分では抑えることが出来ない。
私は、人の言葉が喋れない。
意味は理解できるが、口が動いてくれない。
だってそれは仕方がないじゃない?
今まで闇の中をたった一人で彷徨っていたから、口が話し方を忘れてしまったのだ。
だから私は喋れない。
仕方がないので私は、こうやって態度で感謝の意を示す。
必死に、格好悪く、馬鹿の一つ覚えのように、同じ動作を繰り返す。
涙をぼろぼろぼろぼろ流し、『超強い真彩のグラディウス』をぎゅっと胸に抱きしめて。
何度も何度も、ただひたすらに首を上下に小さく振り続ける。
何度も何度も、それこそ目の前の女性が途方にくれて泣きそうになるまで何度も何度も。
『大事にします』との想いを込めて、小さく頷き続ける。
何度も、何度でも。
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