陽だまりの夢。


17 

俺は痛む体を引きずって、真彩の元へ近づいた。
……驚くほど、遠い。
しかし、俺は進む。
半歩、半歩と、片手片足を必死に動かして真彩の元へと進む。
心の中で、真彩の名を繰り返す。

『間に合ってくれ』

何に、とは思わない。
おそらく、『何か』は既に手遅れで、『何か』は更に絶望的なまでに手遅れ過ぎる。
それでも、俺は足を止めない。
おそらく真彩はもう人としての生は終わるだろう。
ひどく冷静に、俺は感じていた。
諦めではない……事実だ。
だから、俺は進む。
せめて、せめてその最後の瞬間までに、果たしたい。
『死んだ後』ですら、互いを思い続けると、誓った。
もう俺に……俺達にとって『死』ぬ事そのものに負の感情はない。
だが、それでも。
笑い声が聞こえ、ソヒーだった『モノ』が真彩を大地へと放り投げる。
……真彩。
俺は、『両手両足』を駆使して進んだ。
もう、痛くなどない。
この手足がどうなろうと、それ以上に大事な事があるのだ。
おそらく、俺達はこのまま死ぬ。
これはもう、どうしようもない現実として目の前にあった。
だが、だからといってここで止まる理由にはならない。
人はいつか死ぬ。それは誰だって同じこと。たまたま、俺と真彩の『その時』がこれからだというだけの話だ。
今の御時世、ガキだって自分がいつか死ぬことは知っている。
しかしそれでも人は皆、必死に『今』を生きる。
死ぬまでは皆生きているのだ。それは至極当然のこと。馬鹿にされるくらい、当然のこと。
だから俺は今を必死に『生きる』。
まだ、間に合うんだ。
真彩が生きていてさえくれれば、俺がまだ生にしがみつくこの無様な姿すらも報われる。
俺は、進んだ。
這いずるように、無理な体勢で、それでも必死に真彩の元にたどり着くことだけを求めて進んだ。
そして、俺は不恰好な姿で、同じく女として……いや、人としてすらかなり『不恰好』になってしまった真彩へと寄り添った。
「……よう、待ったか?」
傷む体の事など無視をして、俺は軽口を叩く。
動けないかと思っていた真彩が、がくがくと体を震わせてこちらを見て、小さく頷いた。
乾ききった唇が、不恰好に笑みの形を作る。
その唇をわずかに動かし、何かを俺に言う。
そこから音は聞こえないが、声は確かに俺に聞こえた。
「ううん……ちっとも」、といつかのように真彩は俺に答えたのだ。
やっぱり、いい女だなと俺は思った。

ドラキュラの『不死属性付与』によるものだろうか……真彩は意思を持ったまま、その体を『グール』へと化していた。
永くはないだろうが……それでも、まだ『生きている』。
「実はさ、真彩……お前にあげたいものが、あるんだ」
そう言って、俺は動く方の腕でポケットを探る。
……無理な体勢で動き回ったせいか、こちらの指も折れてしまっていた。
その為少々時間がかかってしまったが、真彩は静かに『待って』くれていた。
そして、俺は『それ』を取り出す。
それが何かわかったらしい真彩は、目を見開いた。
……はは、喜んでくれたか……すっげぇ嬉しい。
「さっき天津でゲットした逸品。正真正銘二人でゲットしたんだぜ、これ」
俺の手に光るのは、ダイヤの指輪。あの時倒した雅人形が持っていたのだ。
「…………っ」
再び真彩の唇が小さく動く。
俺の耳には、聞こえる。
いつもと同じ、綺麗な響きで「ゼノくん」と答えた、真彩の声。
その声を、その顔を見ただけで、俺は、心から思った。
死んだ後ですらお互いを思い続けると誓った。
そして実際に、二人の『死』が目前に迫ったこの状況で、心から思った。
ああ……。

『生きていて良かった』


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


『……私ことゼノンは真彩を妻とします』
声が、聞こえた。
その声は狂ったような笑いの中で、はっきりと私の心に響く。
『病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しいときも……。
 生ける時も死せる後も、この身を業火に焼かれようとこの身を氷結地獄に落とされようと、例え死が二人を分かとうと、
 真彩を、真彩だけを永遠に愛し続けます。
 神が反対しようが、悪魔が笑おうが、私はこの身の滅びるまで、この想いの滅びるまで、真彩を愛し続けると誓います』
聞こえる……。
『……私こと真彩はゼノンを夫とします』
あの二人の声が、しっかりと私には聞こえる。
『病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しいときも……。
 生ける時も死せる後も、この身を業火に焼かれようとこの身を氷結地獄に落とされようと、例え死が二人を分かとうと、
 ゼノンだけを永遠に愛し、永遠にゼノンだけの真彩で居続けます。
 神が反対しようが、悪魔が笑おうが、私はこの身の滅びるまで、この想いの滅びるまで、ゼノンを愛し続けると誓います』
私は必死に、自由になる右目を動かして、そちらを見ようとした。
が、角度が悪く、ギリギリで目の端に入る程度にしか確認が出来ない。
……。
……見たい。
……見たいっ!
ガシッ。
私は反射的に『右手』で自らの顔を掴み、強引にその方向へ首を曲げる。
(何だと!?)
ドラキュラの声が響く。
(何故だ! お前の体は既に私の)
「うるさい」
ザクッ。
私は、懐から『ひかり』を取り出すと、迷うことなく左目の『闇』へと突き刺した。
左目程度なら、星のかけらの分のダメージで、充分に事が足りる。
静かになったのを確認して、私は二人へと近づく。
邪魔をしたいのではない。
ただ、あの二人の近くへ。
ただあの人達の想いを見届けたい。
その一身で、ゆっくりと足を進める。
『式典』は佳境に入っていた。
真彩の左手の薬指に指輪をはめると、ゼノさんは真彩の顔を真っ直ぐに見つめた。
『愛してる』と呟くゼノさんの声に、真彩が微笑を浮かべる。
あの、にへらっと蕩けるような、本当に幸せそうな微笑だ。
『死んでも永遠に……』
『生まれ変わっても絶対に……』
誓い合いながら、そのシルエットを重ねた。
綺麗だ、と思った。
体が潰れた半死人と、半分魔物化した女の、結婚式。
不恰好で、ぼろぼろで、それでもなお真っ直ぐに凛々しい。
闇の中でも光輝く太陽のような二人の姿を、私は必死に片目に焼き付ける。
私は、この記憶を絶対に忘れたくないと思い……。

『うわぁぁっぁぁっ!! ゼノさ、まぁやさぁぁぁん!!』
『よくも、この、このぉぉぉぉ!』
それでも、報いは受けないといけないと思った。
突然、私の背中に転移の扉が開いたかと思うと、そこから何人もの人々が姿を現した。
そしてその先頭に……あの二人がいた。
トラジとジル。
あの二人の言葉に従い、騎士団員と神官達を連れてきたのだろう。
私は甘んじて彼らの攻撃を受け続けた。
この身を雷が貫き、放たれた浄化の光に闇で構成された私の体は崩れて行く。
それでも私は自ら命を立つことなく、全てを受け続けた。
『ひかり』を抱きしめて、あの子達の『痛み』をこの身に刻み込み続けた。
ああ、でもあの子達にこの想いは残して欲しくないな……。
そう願いながら、徐々に私の意識は闇の中へと落ちていって……。

『目を開けよ』
声がした。
それに従い、私はぱっと『両目』を開いた。
……え?
私は見た事もない世界に立っていた。
体から、痛みが消えていた。
何がどうなって、自分がどうなったのか、さっぱりわからない。
声の主は目の前に居た。
真っ白な衣服に身を包み、私を見下ろすその姿は……まるで。
『我は『G   M       』……神の意思の伝達者なり』
え? え? え?
私は混乱した。
今の状況が、全くと言っていいほど掴めない。
『これより、感知した『不具合』の『修正』を行う』
不具合の修正?
何のこと? 何をするの?
『我は、この世界において、一部『プレイヤー』の中に不正にアクセスを試みた者の存在を感知した。
 それに伴う修正を行うため、一部時系列を組みなおし、世界をあるべき姿へと巻き戻すこととする』
そう宣言すると、世界の姿が一変する。
私とGMの周囲に様々な文字や記号が現われては消え、現われては消えを繰り返し、何かを書き変えていく。
『しかし、既に失われた魂は戻ることが出来ない。
 よって、汝を『プレイヤー』へと移行させ、これを補完する』
……待って?
何のこと? 失われた魂って……それはもしかして。
『個体名『ゼノン』および『真彩』の二名。
 既にそれらのデータは消去され、プレイヤーとして帰する事はない』
……す・で・に・し・ょ・う・き・ょ?
何だ……それ?
何だそれ、何だそれ、何だそれ!
『汝の体には既に『真彩』の情報が入力されている。
 これを元に汝の情報を書き変える』
え……何それ……?
私の中の真彩の情報……?
(ドクンッ!!)

ゴクリ……ゴクリ……ジュル……ジュルルルルルルル……。
『私』は、喉を鳴らしてその血を飲みこむ。
『私』は、その味に舌鼓を打ち、行為を続ける。
(やだ、やだ、やだ、やだやだやだやだやだぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やだぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)
『……あ……ぁ……あ? あ……』
私の喉の動きと共に、真彩が小さく呻く。
真彩が、流れてくる。
真彩の血が、エネルギーが、細胞が、想いが、絶望が……私の中に流れ込んでくる。

流れ込んで……?
(……ぁ……ぁ、ぁ、ぁぁぁあああっ!?)
私は、光に満ちた世界の中で絶望に包まれる。
……『あれ』か!?
あれのせいで、私はあの二人を押しのけて……っ!?
『なお、両名に関する記憶の修正も完了。
 汝のプレイヤーへの移行は何の問題もなく完了した事を告げる。以上』
記憶の修正?
……忘れるというのかあの二人の事を!?
それは、今の私にとって消滅すること以上の恐怖だった。
待って! こんな一方的に言うだけ言って……待て、待ってよっ!
いやだ、私は絶対に忘れたりなんて……あの二人の事を……。
あの二人を……。
・・・
・・




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


夢を見ていた。

「もしもーし?」
「大丈夫ですか〜?」
ゆさゆさゆさ。
あう……世界が揺れる。
天変地異を感じ、ゆっくりと私の意識は覚醒へと向かう。
「あ、起きた」
「こんなところで寝ていると、風邪を引きますよ?」
う〜……。
「……あれ、ここどこ?」
寝ぼけ眼をごしごしとこすりながら、声の主達に尋ねる。
「プロンテラです」
「正確にはその南の草原?」
返事と共に、気持ちいい風が吹きぬける。
その風に、少しだけ眠気が去る。
私はぼんやりと首を巡らせ、ふと誰かが私を見下ろしているのに気がついた。
「……うわ、誰ッ!?」
「おそっ!」
「天然物を発見でしょうか」
失礼な声のする方向へと顔を向けると、傍らの人物達の顔が目に映る。
その顔を見て反射的に私は……。
「あれ…………あ、あれ?」
何かを言おうとして、自分が何を言いたかったのかがわからなくなる。
「???」
「???」
「……本場物を発見でしょうか?」
私と『マジシャン』の男の子がお互いに首を傾げあい、『アコライト』の少女が、私の顔を興味津々と言った体で覗き込んでくる。
えっと、この人達は確か……あれ?
「え〜っと、僕はトラジロウ、この子はジルちゃん」
「はじめまして〜」
「は、はじめまして?」
『ジル』さんに丁寧に挨拶され、私も慌てて頭を下げる。
「あなたのお名前は?」
え? え〜と……。
「ここ、僕達がよくおしゃべりしてる場所なんだ」
……ああ、なるほど。
(ここは二人にとっての溜まり場で、そこに見たこともない子供……つまり私がいたから、この人達は私を起こしたのね?)
覚醒して来た私の脳みそは、現在の状況を的確に把握した。
「そうだったんですか、失礼しました。えっと、私の名前は……私の、名前は……あ、あれ?」
「「?」」
「私の名前は……え〜と、何でしょう……?」
「「ええー!?」」
あれ? あれあれ?
私は焦った。
「あれ? 『私』は『誰』? あれ、何でこんなとこに……あれ、あれあれッ!?」
「落ち着いて、落ち着いて」
「何か、名前がわかるものを身につけてるかもしれませんから、ちょっと確認してみません?」
二人の声に従い、私は自分のもっている所持品を漁りだす。
えっと……えっと……。
と、ポーチの中に何かの瓶と硬い棒のようなものが入っていた。
私は瓶の蓋をそっと開ける……と、甘酸っぱい果物の匂いが辺りに漂った。
「リンゴジュース?」
「と、それからこれは短剣……グラディウス、ですね?」
『リンゴジュース』と『グラディウス』……。
私は、鞘に納まったその短剣をしげしげと見つめる。
「確か、ノービスは装備出来ないはずなんだけど……何で持ってるの?」
「不思議ですね?」
本当に不思議だ。
私は思い切って、その鞘を外してみた。
すると。
「「「うわ、綺麗!」」」
私達三人はそろって感嘆の声を上げた。
一目見て、その短剣の美しさに目を奪われる。
「あ、でも……ほら、見てください、銘の部分が」
「……削られちゃってるね。これじゃ誰が作ったのか、もうわかんないや」
二人は落胆の声を上げている。
しかし、私はそのすぐ横にある小さな模様に気がついた。
私の視線から、二人もそれに気が付き各々がポツリと、その名前を呟く。
『ひまわり』、と。
その模様を見ていると、私の中に何かもやもやしたものが浮かんでくる。
「……ゃ。いや違う……あや? ま、マヤ……マー……マーヤ?」
その響きに私達の頭の中で何かのパーツが『カチリ』とハマった。
「ん、あれ、それって……名前?」
「わからないけど、なんかすごく、懐かしい……?」
「マーヤ……マーヤ……」
私はぶつぶつとその響きを繰り返す。
何かを、何かを思い出せそうな気がする。
「マーヤ……うん、マーヤちゃんか。いい名前じゃない」
「そうですね、とっても女の子らしい名前ですし、多分あなたの名前なんですよ、きっと」
……ぇ?
「私は……、私が……マーヤ?」
私の名が……マーヤ?
(『  』になりたい)
カチリ。また何かが私の中で組み合わさった音を立てる。
「私の名は、マーヤ……」
確認するようにポツリと呟いた声は、草原の風に乗り、空高く舞う。
答える声は、傍らの二人のものしかなく、それがなぜかとても悲しく……残酷に思えた。
「あれ、マーヤちゃん何で泣いてるの……?」
「……トラさん、あなたもなんか目が潤んでますけど……」
「……そう言うそっちは、もうこぼれてるじゃないか」
何が悲しいのか自分達でもわからなかったけれど、なぜか私達はそのままその場で大泣きを始めた。
そんな私達を慰める手は今はなく、見守る暖かな視線も感じることは出来ない。
それでも私は、私達は、何かを求めて涙を流し続けた。
ただひたすらにみっともなく泣き続けた。
暖かなお日様の光と、リンゴの香りに包まれながら。


夢を見た。
しかし、目が覚めた途端、急速に夢の世界はその現実味を失って、遠く霞んで手が届かなくる。
明晰夢でもない限り、そうそう夢の内容など覚えていられるものではない。
『これは夢だ』としっかりと意識出来ている明晰夢でもない限り、覚えていられるものではないのだ。
望む望まぬに関係なく、えてして夢とはそういう風に出来ている。

その夢は、よく覚えていないけれどとても幸せな夢だった。
その夢は、よく覚えていないけれどとても残酷な夢だった。

しかしそんな夢の内容そのものよりも、それを『覚えていない』という現実の方が、悲しかった。
他のどんな事よりも、何故か悲しかった。

それでも……、私は『ここ』で、夢を見た。
とても幸せで、とても悲しい夢を見た。
その夢を『見たという事』だけは、覚えていると断言できる。
胸を張って、断言できる。
何故かはわからないけど、それは……、それは、とても大切なことのように、私には感じられた。


-了-