陽だまりの夢。
16
「ゼノさんだーっ!」
「ゼノさん、ヒールしますっ! ヒール!! ヒール!! ヒール!!」
のんびりと寝転んでいたら、突然少し離れた場所からにぎやかな声が飛び込んできた。
子犬のように纏わりついてくるちびっ子達を軽くあしらいながら、俺はその後ろをゆっくりと歩いてくる姿に向かって軽く手を上げた。
「よ」
「……よ」
ちょっとだけ赤い顔で、同じポーズで挨拶を返してくる真彩。
……微妙にだが、気まずい。
「ゼノくんのせいで……」
「……」
「プロのど真ん中で、大泣きしてきた」
「…………」
予想は、していた。
……人の多さの若干のズレはあったが、もしかしたら街の中にいるかもしれないな〜……程度には予想はしていた。
「……プロか」
「……十字路の、ど真ん中」
……。
壮絶に、気まずい。
「私は人前でそんな恥をばら撒いて来たって言うのに……ゼノくんは『ここ』にいたのね?」
「……ああ」
すまん、と言おうとするのを辛うじて飲みこむ。
謝るのは、なんか違う気がする……。
俺が転移したのは『いつもの場所』……つまり、プロンテラにほど近い草原の一角だった。
確かに、俺と真彩を取り巻く環境には差がありすぎていたが……。
……ううむ。
とはいえ、このままではあまりにも俺が居た堪れないので、強引に話を逸らす。
「や、ほら、俺もコイツに聞かれてたしっ!」
と、俺は『卵』を取り出す。
「ほらほら、身知らぬ他人の十人や二十人より知ってるヤツ一人の方が……」
「……ゼノくんっ!」
俺の言葉を真彩の鋭い言葉が遮る。
「いや、そうだよな、うん、この時間のプロンテラの十字路が十人や二十人のはずが……」
「何馬鹿なこと言ってるのっ! 卵! ソヒー!」
……あの真彩が血相を変えている。
俺は慌てて手に持った卵を見直し、
「っ!?」
その変貌に、思わず息をのむ。
殻が……どんどんひび割れていく。
そして、その隙間から、黒いもやのような『何か』が漏れている。
「……おい、誰か孵化器っ!! 携帯用孵化器!!」
「どうするのっ!?」
「孵すに決まっているだろっ! どうするも何もこのままじゃ何もできない!」
俺はトラジが差し出した孵化器を奪うように受け取り、卵をセットする。
「無事でいてくれ……」
俺や真彩、ちび二人が見守る前でその卵が孵っていく。
そして現われたのは……いつもと変わらないソヒーの姿。
「……え?」
「なんともない……?」
俺達が見守る前で、ソヒーはいつものように宙に浮き、小首を傾げる。
『どうかしたの?』とでも問うようなその様子に、しかし俺は緊張を解くことが出来ない。
……明らかに異常な様子の卵から現われたソヒーが、通常であると思えるほうがどうかしている。
真彩も俺のその緊張を感じたか、トラジとジルをその背に庇う。
と、ソヒーが小さく口を開いた。
『……の、さん』
……喋った。
俺は単純にその事実に驚いた。
が、真彩は違ったらしく……小さく身を強張らせ、それからこちらに体を寄せてくる。
「真彩……?」
俺はその真彩の様子が気になったのだが、
『ゼノ、さん……』
ソヒーに自分の名を呼ばれ、ハッとそちらを振り返る。
……目の前に、ソヒーがいた。
そして次の瞬間、頬にその冷たい手が添えられ。
「っ!?」
唇を……奪われた。
信じられないほどに冷たく妖しい……キス。
俺は、信じられない体験をしている。
一瞬にして頭がフリーズし、身動きが取れない。
しかし。
「カートレボリューション!!」
真彩の一撃が、ソヒーの小柄な体を吹っ飛ばす。
……助かった。
「今、少しでも『浮気』した?」
「……言い訳はしない」
「出来ない、の間違いでしょ? キスなんてされたら、それは仕方ないよ」
『浮気なら一回だけ許してあげる』と冗談か本気かわからない事を真彩は微笑みながら呟く。
「それよりも、今は……」
『トラ君、ジルちゃん』と、真彩がちびっ子二人に呼びかけた。
「誰か……そうね、騎士団の人と大聖堂の聖職者達を呼んできて」
「……だな、それが一番確実だ」
真彩と俺は、改めてソヒーを見た。
まだ目立った動きは見せないが、いつそれが破られるかはわからない。
「行って」
「頼んだぞ」
「う、うん」「はいっ」と幼い声が答え、背後でポタが開かれ閉じたのを感じる。
……とりあえずこれでガキどもは心配がなくなった。
騎士団や神官達が間に合うかどうかはともかく、あの二人の身はこれで安全だ。
「さて……」
と、俺達は居住まいを正す。
ソヒーは、笑っていた。
くすくすと、本当に嬉しそうに笑っていた。
全身で笑っているように見えた。
……いや、違った。
左目が、特に激しく笑っていた。
愉快そうに俺達を見下し、涙まで流して笑っていた。
そして……右目だけが、泣いていた。
右目だけが、悲しそうに俺達を見つめ、涙を流し続けていた。
「……どうしようか、ゼノくん」
「……困ったな。明らかに『何か』に乗っ取られてるな……」
俺達は軽口でも叩くように……しかしその実、これ以上ないくらいに真剣に悩んだ。
「……ゼノくんは、あの娘のことどう思っていた?」
「そう言うお前こそ、どう思ってたんだよ」
お互いに一瞬口をつぐみ、そして同時に答える。
「「……『家族』」」
『いぇーい』と、小さく手を合わせる俺達二人。額を彩る冷や汗が最高に素敵だ。
「……で、どうするか」
「……どうしましょうねぇ」
「……とりあえず俺の名探偵並の脳みそは」
「乗っ取っているのは十中八九ドラキュラ……でしょうねぇ?」
「台詞を奪うな、助手」
「名探偵様なら、更に続きがあるんでしょう?」
「『核』は……左目だろうなぁ、明らかに」
「そうだね、あんなに激しく自己主張してるもの」
「……で、どうしようか」
「……黒幕がわかっても、どうしようもないよねぇこの場合」
堂々巡り。
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『左目を抉るしか……ないかな?』
『……悪い、俺はどう答えたらいいのかわからん』
『ヘタレ』
『黙れヘタレの嫁』
『顔は女の命だもんね〜』
『俺は責任を取ってやれないしなぁ』
『……』
『そこで悩むな、嫁』
私の目の前で、ゼノさんと真彩が悩んでいる。
冗談めかしてはいるが、どうにかして私を無傷で救おうしてくれている様子が伝わってくる。
嬉しい。
『家族』と言ってくれた。
あんなことをした後なのに。
ゼノさんの……唇を奪った後なのに。
それでも私を受け入れたままでいてくれる。
嬉しい……嬉しい、ものすごく嬉しい、のに。
(憎い、だろう?)
闇が囁く。
(こんな時だと言うのに、仲睦まじいことだなぁ『ゼノン』と『真彩』は)
どうしようもないほどに、心に響く。
(ほら……いいのかこのままで)
私の中に否定出来ない心があるのをわかりきっている、ドラキュラの声。
残酷に響く……余裕の声。
私が絶対に『勝てない』ことを知っている、『勝者』の声。
(私は、お前の願いを『叶えて』やれるのだぞ?)
……いやだ、やめて、動かないで、止まって私の体っ!
『そんなこと』私は、私はしたく……やだ、やだ、やだ、やだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
しかしそんな私の声は届かない。
私の体は、私の声などに従ってくれず、『そんなこと』をしてしまう。
私の中にいるドラキュラの技を使い、私の体は一瞬にして目の前に立つ。
真彩の、目の前に。
『っ!?』
『真彩っ!?』
二人の驚愕の反応が、一挙一動が、スローモーションのように私の目に映る。
反射的に真彩と私の間にゼノさんが体を割り込ませたが、『私の体』は闇の力を込めた左腕で彼をあっさりと弾き飛ばす。
ゼノさんは、びっくりするほど直線的に吹っ飛び、立っていた太い樹に思い切り叩きつけられた。
『がっ!?』
体と樹に挟まれた形のゼノさんの足と手が、変な方向に曲がった。
そのまま大地の上に受身も取れずに倒れこむ。
それでも、必死に何か呻きながらこちらへと動こうとしているので意識はあるようだが……なんの慰めにもならないだろう。
そしてそんなゼノさんには私以外目もくれず、『私の体』……いや『私』は、牙を、突き立てた。
スカーフを緩く巻いただけの、無防備な真彩の首筋へ。
ビクンっと体を強張らせた真彩は、そのまま動かなく……いや、動けなくなる。
ドラキュラの……力だ。
『私』がゆっくり牙をと引き抜くとその『穴』から血が溢れはじめる。
『私』は舌を伸ばし、それを舐めとる。
ぴちゃ……ぴちゃり……ジュルル。
やがて『私』はそれだけでは満足できなくなり、直に唇を真彩の首筋につけ『飲み始める』。
ゴクリ……ゴクリ……ジュル……ジュルルルルルルル……。
『私』は、喉を鳴らしてその血を飲みこむ。
『私』は、その味に舌鼓を打ち、行為を続ける。
(やだ、やだ、やだ、やだやだやだやだやだぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やだぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)
『……あ……ぁ……あ? あ……』
私の喉の動きと共に、真彩が小さく呻く。
真彩が、流れてくる。
真彩の血が、エネルギーが、細胞が、想いが、絶望が……私の中に流れ込んでくる。
『やめろーーーーっ!』
遠くでゼノさんが叫んでいる。
でも、『私』はやめない。
永遠とも呼べそうな時を、私は叫び続けた。
そして……。
ゴクゴクゴク……ゴクリ。
ようやく『私』は、血を飲むのを止める。
少しだけ『軽く』なった真彩を放り出すと、ゆっくりと立ち上がる。
……音が聞こえる。
私にはそれがなんなのか、もうわからない。
酷く甲高くて酷く耳障りで……。
……ああ、そうか。
『私』だ。
『私』が……嘲笑ってるんだ。
嘲笑った。
自分が惨めで、自分を嘲笑った。
私は、自分の黒い欲望に逆らえなかった。
なんて醜くて、愚かな私。
あは、あはは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!
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